籠(かご)字
先日、趙孟頫の行書千字文を選んだ生徒さんのお稽古でした。
どうも調子が出ないご様子で、聞くとその日はお稽古後に、スケジュールが立てこんでいて、そのことが気になり、なかなか集中できないということでした。
いつもは今日書く部分を、半紙二文字の大きさの拡大コピーを用意し、それを手本にされています。その日はコピーし忘れたようで、法帖を直接みて、自身で半紙に二文字の大きさに臨書されているという状況でした。
本物を見ることが何より大切、どんなに初学者でも最初から法帖を直に見ることを推奨しています。
私の仕事は、生徒さんが選んだ書を書いた人物へ近づくお手伝いだと思っています。
本物が発するエネルギーには、生徒さん自身、必ず何かしら感じるものがあるはずで、どんなに小さなことでも、私を介した受け売りではないことが大切です。
そういう意味で、最初からどう書けばいいか多くを語らないようにしています。
どうしたらその線がひけるのか、自分で探ることの面白さを感じてくださっているなぁと思えた時、私はとてもうれしく思います。そういう面白さを味わうと、もっとやりたくなるからです。
しかしこの日はその後もどうしても調子が出ない様子だったので、「調陽」、手本を書いて渡しました。その手本をじっと見つめ、一通り指でなぞって骨書きした後、彼女はおもむろに籠字を始めました。
籠字は手本を透かせて字の輪郭をとり、それを埋めるように筆書きすることで起筆の入り方、線の傾き、空間構成などあらゆることが一気に体験できる初学者にはとても勉強になる学び方ですが、最初の頃に教えたのを思い出し、自主的になさいました。
私はうれしくなって思わずパチリ。
中国の師曰く「書道は学び方を知らないと大切な時間を無駄にします、伝えなさい。」
私は書の学び方を伝える、職人のような書道家でありたいと思っています。
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