ご挨拶 心法とは

美しい字を書く、そこに一体どれだけの意味と必要性があるのでしょうか?

意思伝達の手段として、手書きすることすら稀になってきた現代において、

字の上達だけが書道の目的であれば、それ自体必要でない日がくるのかもしれない、

とすら思う人もいることでしょう。


中国において、歴代の皇帝たちは、子どもの頃から膨大な時間を書道に費やしてきました。

それはただ美しい字を書くためではなく、帝王学のひとつとして、

書道が人間形成に大変有効な手段だと信じられてきたからです。


恩師、佛涛上人はおっしゃいました。

中国の長い歴史の中で、書の達人は数えきれないほどいたはずです。

その中で残ってきたものには意味があります。


何百年何千年と、次の世代へ残すということは容易なことではありません。

なぜ多くの人が多大な努力を惜しまず、残そうとしてきたのか?

それは書いた人物が書道家である前に、素晴らしい人間だった。

その人柄が多くの人に感動を与えたり、大変に意味のある業績を残したり、

とにかく書いた人間が尊敬され、愛された存在だったからです。


書を臨書するという行為は、ただ字の書き方を学ぶのではなく、

その人間性に近づき、融合するための手段なのです。

字がいいからいい書道家ではなく、いい人間だからいい字が書けるということです。


魂の成長、自己の調和を成し遂げるのに、書道は有効な手段です。

自らの価値に気づき、自己の内なる世界を素晴らしいものへと成就させ、

それが外の世界へと影響していく。

自己の調和がひいては世界の調和となる。


自分だけが知って喜んではいけません。

どうやって学べばいいかわからない人がたくさんいます。伝えなさい。



心を養う本物の手段として、脈々と伝承されてきた『心法』をお伝えします。

『中国書道留学記』は実際の体験を綴ったものです。

私がこれまで学んできたものが、皆さまのお役に立てれば光栄です。


心法書道  慧竹 

心法とは



書を学ぶことは、魂の成長において大変有効な手段です。

あなたは今、あなたという箱に入っている魂です。

あなたが書を愛するということは、何個か前の人生で書を愛した魂だということでしょう。

その魂がいた箱を探してみましょう。



最初のレッスンで師にそう言われ、心ときめいたのを鮮明に覚えています。

人は生まれ変わりをしていくうちに、様々なことを学んでいきます。

今のこの自分という代だけを考えても、祖先から受け継いだ生まれながらの質の上に、

育った環境により培った考え方や能力、善悪の判断、感性や美意識など、

人はみなそれぞれ個人固有の世界を築いています。

人の成長はみな異なり、また好みも違って当然です。



素晴らしい人だからこそ素晴らしい字が書けると教わりましたが、

一体どんな人物を素晴らしいと思うか?

誰もが素晴らしいと認める人もいるでしょうが、

人それぞれの成長によって、あこがれる人も違ってくるでしょう。



自分が素晴らしいと思える人の書から、その人間性を学ぶのが「心法書道」。

手本とする書は与えられるわけではなく、自ら探し出します。

なぜなら自分にふさわしい書は、自分しかわからないからです。

これはとても面白くワクワクするワークです。

そうして探し出した書に向き合っていきます。



どんなところを自分に取り入れて、自分の内なる世界をどう豊かにすれば、そんな人物になれるのか?

未開発な部分は開発し、未熟な部分は成長を促しながら、総合的なバランスを形成する。

「心法書道」は、自分の感性で自分の潜在意識に問いかける、完全にパーソナルな学びです。



ただ字を学ぶことが、どうしてその人間性までも学べることになるのか、

きっと不思議に思われることでしょう。

しかし、書を学んでいくうちに、自分だけがわかる、自分だけが知り得る境地が待っています。



書道がなぜこんなにも長い間人々を魅了し、大切に伝承されてきたのか、

書を学ぶという行為自体に、魂の成長に有効なシステムが内蔵されており、

深淵なる文化の厚みと、思いがけない効果を感じることができるでしょう。