李邕 李思訓碑

今回は、去年入会されたHさん(男性)が選んだ、李邕(リヨウ)の代表作といわれる「雲麾将軍李思訓碑」(ウンキショウグンリシクンヒ)の臨書についてです。


李邕は、唐の時代の名臣、9代皇帝玄宗の時には今の山東省の一部を治める長官に任命されるなど、唐の一番盛況な時代に活躍された人物です。また碑文の作に優れ、行書の名手と呼ばれ巨万の富を築いたといわれています。


書道をきちんと習ったことはなかったHさんですが、前々から筆で文字を書くことが好きで、年賀状や日常的に筆で書くのにふさわしいと思われるシーンがあった場合は、喜んで筆を持っていたそうです。


最初のお稽古の時から、その魂の入った書きぶりには驚かされます。これは、習い始めて間もない頃の臨書です。この書きぶり、見事ですね。

Hさんの臨書 李思訓碑「一行目の二文字」


心法書道では、基本的に私が手本を用意することはありません。もちろん、その字の構成、線の表現、起筆送筆収筆それぞれの筆遣いなどなど、必ず書き込んできっちり頭に入れてお稽古に臨みますし、書いて説明もします。

しかし、一旦私のフィルターを通して出てきたもの(私の手本)を臨書することに、何の意味もないだけならともかく、弊害にもなりかねないからです。


今に伝わる書がどれほどレベルが高く、生徒さんが向き合うと決めたその書き手である人物がどんなにすごい人なのか、臨書という追体験を通して実感してほしいんです。

そして、「ああ、なんて素晴らしい書を選んだのだろう、選んだ私っていけてる(笑)」と思ってほしいのです。


「好き」という感覚には、自分という人間を作り上げている膨大な情報が様々にリンクしあっています。それは理屈ではなく、もはや自分でも整然と説明することなどできない感覚です。


そして書道という学びのシステムがすごいのは、好きな人物の行動を、その行動の順番で詳細に追体験できるということ、その行動のすべてからその人物の深層心理を感じ取ることができるということです。


その体験をいかに効果的にナビゲートできるか、私の役割はそれに徹することだと思っています。ですから、どんなに初心者の方でも、法帖を直に見て臨書することの重要性を理解してほしいと思います。


とりあえずは、とにかく形を限りなく近づけることが大事なのですが、どんなに形を似せても、その雰囲気、佇まいまでもは似てくれない。


かと思えば、Hさんのように、細かいところはまだ課題はあるのに、「あら、雰囲気出てますね!」「おーー凄みが伝わってくるじゃないですか?!」と思えるのが臨書の面白いところ。

Hさんの「好き」の感覚には、李邕の何かがリンクしているはず。。。

心法書道

人は自然の一部 自らがよりよく成長するために 大自然の理を理解したい 世界の調和は自らの内なる世界の調和から 書道はそれを可能にするとてつもない芸術です

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