臨書の極意
先日Zoomレッスンでとてもうれしいことがありました。
大筆に加え、小筆のお稽古も始めて半年くらいの生徒さんのお話、課題は智永の関中本真草千字文です。
毎回、楷書を二行、草書を二行書いて提出していただいていますが、添削を始めて「端」という文字にさしかかったその時、生徒さんが言いました。
「この字を書いているとき、笑みがこぼれ、楽しくなりました。楽しんで書いていたのかなーと感じました。一行目でもそう感じて、二行目でもやはりそう感じました」と。
私は思わず「え、どれ?これ?この端?!」と聞き返し、目を見開き全集中で「端」に没入しました。
確かに!
眺めていると、口角が上がります。
感動しました。
この生徒さんは臨書の極意を得たと確信しました。
中国の師に「王羲之が蘭亭序を書いたときに、どんなに気分が良かったかわかる?この「死」という一字を見てもそれが伝わるでしょ?」と言われたのを思い出します。
孫過庭の書譜をみて、「大人と子供の精神が共存している」といわれた時も、当時は「なんのこっちゃっ」とぽかんとしてしまった私。
師曰く「そもそも臨書は、書き手のレベルと同じになること」が目的。
その意味は、単に書いた字が同じになることではないのです。
まずは徹底して形を追い続けるわけですが、そうしているうちに、そう書かせた書き手のその瞬間の精神・心理状態を感じ取れるようになり、そのテンションで同じように書くことによって、その状態に自分を引き上げることができる、それが臨書という行為が目指す効果です。
智永の上品で屈託なく真っ白で軽やか、とてつもなく崇高な境地、遠い過去に書かれたたったその一文字で、それに感じ入ることができ、口角が上がり気分がよくなる。
臨書ってすごい。
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