心がざわざわ
去年の春に入会されたSさん、一年半以上経ちました。
私の移住後も、通信とオンラインレッスンでお稽古を続けてくださっています、ありがたい。
入会当初、蔡襄の書を選ばれ、それからもずっと蔡襄を学ばれています。
蔡襄、皆さんどんな印象を持たれるでしょうか?
字からその人となりを感じてみてください。
蔡襄 謝賜御書詩表
奇をてらわず、清々しいその佇まいから、私は素直で公明正大な人柄を感じます。
Sさんは「蔡襄先生の書にしてほんとに良かった、美しい。」と何度も私にそう言います。
臨書の半紙作品には、最初小筆で名前を書き入れていましたが、今では大筆のまま草書で入れるようになりました、素晴らしい。
というわけで、最近になって小筆は智永を学ぶことにしたのですが、Sさんが一言こう言いました。
「先生、蔡襄を書いた後、小筆の練習に入るとき、なんか心がざわざわするんです。」
「蔡襄を書く時のテンションのままで、智永を書けない、あまりに違いすぎて…。」
智永 関中本真草千字文
その違いに気づいてくれたということは!!!
Sさんは、『蔡襄を書く時、蔡襄の精神や感覚に自分のそれを近づける』という作業をしていたに違いありません。
つまり、蔡襄を見ることで人となりを感じ取り、蔡襄を書くことでその精神にまで自分を引き上げるという、心法書道の学び方の神髄を自分のものにされていたわけです。
こんなにうれしいことはありません。
蔡襄と智永、そうなんです、その境地は全く違う。
どっちが上とか下ではなく、それぞれに一人の人間が到達した境地というものがあります。
イライラしたり、そわそわしていては、智永は書けません。
おっちょこちょいでは、王羲之は書けません。
駆け引きや損得勘定をするようでは、蔡襄は書けません。
付和雷同していては、懐素は書けません。
ちまちましたしていては、太宗は書けません。
臨書は、まずその人物のテンションに自分を合わせていかなくてはいけません。
その訓練が心を養い、そういう心持ち、人となりとなっていきます。
Sさん、この一年半で確実に蔡襄に近づいていますよ、おめでとう!!!
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