実践!心法書道⑱
臨書14日目。
「化被」はだいぶ仕上がってきた感あり。「草木」の「草」の三画目、それまでのエネルギーを吸収するように、乗じすぎず我に返るような感覚、一旦フラットな状態に戻すイメージ、「化被」の「化」の四画目と同じ感覚。
そう、字は変わっても深層心理は変わりません。
懐素の草書千字文は、よく「枯淡」と評されます。「枯淡」とは、「俗っぽさがなく、あっさりとしている中に味わいをかんじさせること」とあります。
「化」の四画目と同様、「草」の三画目を書かせるテンションが醸し出しているのかもしれません。
「草木」今日のBEST。この三画目、エネルギー処理において、まだ「枯淡」の域にはたどり着けない。しかもこの三画目もっと右へずれないと。自然と文字の標準に支配されてしまう私、標準からのズレを楽しもう。枠を取っ払う大胆さを持たないと。
「化被」他の字を書いてみると、この二文字がなかなか難しいと改めて実感。私にない要素がいろいろ詰まっているということでしょう。
「頼及」まだ書きこんでないわりには、悪くない。字の造形が楽しい。
しかし、「頼」の最終画から次の「及」への終筆ができていない。私は造形の楽しさに乗じてリズムよくはねるように書いてしまった。
懐素は、筆先をなるべく最後まで紙面に残そうとして書いている。それは「化被」の「被」の偏の最終画からつくりへの連綿と同じだった。何枚も書いてきたはずなのに、見落としていたようです、気づけて良かった。
懐素の連綿線は、切れている場合でも、筆の弾力でもってリズムよく次へいくのではなく、最後まで紙面に筆を残し、開いた筆先が戻ってくるのを確認するかのように穏やかに次へと向かっている。つまり運筆はゆっくり丁寧。
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