随便心
「スイビエンシン」と読みます。中国語です。日本語でなんと訳せばいいのかしっくりくる言葉がわからないので、そのままですみません(笑)
「随便」とは日本語で、①都合のよいようにする、勝手にする、②気軽である、自由である、気まぐれである、という意味です。「随你(的)便吧」で、「あなたの好きなようにしなさい」という意味、日常会話でよく使われます。
それに「心」がついているのですが、師から教わった「随便心」には、もっと奥深い意味があります。
あなたが道を歩いていたとします。前方からも人がやってきます。その道は、人が一人歩けるほどの道で、すれ違うにはどちらかが道を譲る必要があります。普通ならどちらともなく「あ、すみません」と声をかけるなり、ちょこんとお辞儀をするなりして譲り合うものです。
しかし、「譲る気はさらさらないぞ」という声が聞こえてきそうなほどに威圧的な人がやってきたらどうでしょう?
だとしても、そこで、その人に対して何の思いもおこさず、さっと譲る、さっと避ける、とっさのときに、それをやってのけるのがこの「随便心」。
つい一瞬でも「何この人、嫌な感じだなぁ」と思ってしまいますよね。譲ることは譲っても、数秒はモヤモヤした気分になりそうなものです。そこを、全く意に介さず、ただ避けるだけ。できそうでなかなか難しい。
「自分の心が平和であれば、日常起こるどうでもいい取るに足らない些細なことに、心が摩耗することがないのです」「他人を正そうとする必要はない、常に自分の心を平和に保てば、それが徐々に周りの人に影響していきます」と師は語ったが、私の中にも芽生えつつある「随便心」、断言していいと思います、懐素の影響です。
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濃墨仕立てで書き味なめらか、余計なものが入ってないので筆が長持ちします。
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